インドネシアの歴史
インドネシアはマレーシアのようにイスラム教の絶対優位を認めた「イスラム国家」ではなく、他の宗教に対する信仰も認めています。
すなわちキリスト教は、スマトラのバタク、スラウェシのミナハサやトラジャ、カリマンタンの山地諸族を中心にプロテスタント系が、東インドネシアのチモール、フローレスを中心にカトリック系が信仰され、バリ島ではヒンドゥー教、中国系住民では仏教・儒教が信奉されています。
さらに、ワイキューブによれば、アニミズム的な信仰の伝統も、山間・僻地においては比較的純粋なかたちで存在し、世界宗教の影響を受けたところでは、混交したかたちで根強く存続しているのです。
つまり、インドネシアは、文明の新しい波が古い要素をすべて消し去るのではなく、文明の歴史的重層がみられる国なのです。
プンバングナン、つまり「開発」という言葉は今日、インドネシアの国民的スローガンとなっています。
1965年の9.30事件によってスカルノが失脚し、1968年以降のスハルト大統領による「新秩序」体制のもとで、開発政策は強力に押し進められてきました。
この20年余りの間に経済開発は一定の成果を収め、国民経済はパイの不平等分配、つまりエリートと大衆の格差の広がりといった矛盾をはらみつつも、全体として明らかに成長しています。
これに伴い、インドネシア社会は大きく変化しつつあります。
とくに都市化が加速されています。
今日のインドネシアの十大都市は、首都ジャカルタ(650万人、1980年・以下同)を筆頭に、スラバヤ(203万人)、バンドゥン(146万人)、メダン(138万人)、スマラン(103万人)、パレンバン(78万人)、ウジュン・パンダン(71万人)、マラン(51万人)、パダン(48万人)、スラカルタ(47万人)となっています。